サラダ味とはなんなのか~スナック菓子・煎餅・サラダチキンの謎~

スナック菓子や煎餅、サラダチキンなど「サラダ味」と称されるものがたくさんありますが、「サラダ味」って何なのでしょうか。サラダと言われて思い浮かべるような、野菜の味がするわけではありませんよね。ドレッシングでもないですし、どちらかというと塩味のような気がします。ということで「サラダ味」とは一体何なのか疑問を持ったので調べました。

サラダ味とは

なお、サラダのドレッシングに適した油のことを日本ではサラダ油という。また、サラダ油を使った煎餅やスナック菓子などで塩味のものを「サラダ味」と称することがある。

サラダ – Wikipedia

つまり、ドレッシングに適した油を使っており、中でも塩味のものを「サラダ味」と称するわけですね。

そもそもサラダとは

サラダ(英語: Salad [ˈsæləd]、フランス語: Salade [salad]、ポルトガル語: Salada [sɐˈladɐ])とは、野菜などの具材に塩、酢、油、香辛料などの調味料をふりかけるか、和えて盛りつけた料理の総称。

生のままの野菜や、ポテト、ブロッコリー、豆類などの煮たものを冷ましてから盛り合わせ、マヨネーズ、ドレッシング、塩等をかけて食べるものが一般的だが、野菜以外の材料を多く含む卵サラダ、ツナサラダ、ハムサラダ、マカロニサラダなどもサラダと称される。素材の選び方によってはビタミンC・食物繊維などを多く含む。

サラダ – Wikipedia

サラダと一口に言っても種類も様々で具も多種多様ですが、調味料をふりかけたり和えて盛りつけた料理のことを言うみたいですね。

サラダの歴史は深く、古代ギリシャ、ローマの時代にはすでに生野菜を食す習慣があったそうです。語源も「塩」を意味するラテン語の「サル」(sal)または「塩を加える」を意味する動詞「サラーレ」(salare)にあるそうで、当時のサラダは塩を振りかけて生野菜を食べるという料理であったことがわかりますね。

14世紀末には、英国のリチャード2世の料理長が、パセリやセージ、ネギ、ニンニクなどにオリーブ油、酢、塩をふりかけて食べるレシピを記しており、今日のサラダに近いものを食していたことが分かる。

サラダ – Wikipedia

オリーブ油に酢に塩というと、今日のドレッシングの材料なので、この頃にはもう私たちが普段目にしているサラダがあったことがわかりますね。

15世紀のミラノの宴会料理にサラダ(zelada)という名の野菜料理があった。たっぷりの塩(salè)、ジャム、マスタード、レモンで味付けされた煮込み汁を酢漬けや塩漬けの緑野菜にかける料理だった。やがてローマ人に倣って温野菜や生の緑野菜に汁をかけるように変化し、汁も油と酢をかける方法に変化していった。15世紀の中頃にはフランスでサラダに適した野菜のリストが作られた。16世紀の野菜好きな詩人ピエール・ド・ロンサールはサラダの料理法をそのまま詩に表した"ジャスミンに捧げる頌歌"を残している。

サラダ – Wikipedia

ピエール・ド・ロンサールは有名な詩人で、薔薇の品種の名前にもなっています。一体どんな内容だったのか気になりませんか?調べておいたので、この記事の後半でご紹介します。

野菜以外のサラダが登場したのは17世紀後半のことで、鶏肉、魚、エビなどが用いられ、18世紀の終わりにはフルーツサラダもみられるようになった。

サラダ – Wikipedia

17世紀後半にもなると、今私たちが食べているような魚や肉が入ったサラダも既に存在していたんですね。17世紀頃の人と同じような食べ物を食べていると考えるとなんだか不思議な気分になりますね。

サラダの日本での歴史

江戸時代以前の日本では畑の衛生状態が良くなかったため、瓜、スイカなどを果物として食べ、ネギなどを薬味にする以外に、野菜をそのままで生食する習慣はなかった。付け合わせやビタミン源としての野菜は漬物、おひたし、煮物、汁物がその役割を果たしていた。
幕末から明治時代になり、欧米諸国との外交が始まると、外国人向けにサラダが提供され、主にフランス語や英語に近いサラドやサラデという言い方が用いられた。ただし、トマト、ダイコン類か、カリフラワーやアスパラガスなどのいったん茹でた野菜が主である。1872年(明治5年)出版の『西洋料理指南』にはトマトのサラダなどの作り方が掲載されている。

サラダ – Wikipedia

一方、日本でのサラダの登場は、幕末から明治時代に、外国人向けの茹でた野菜が中心のサラダだったそうです。ヨーロッパではかなり昔からあったサラダですが、日本人には明治時代になってもまだなじみが薄い食べ物だったんですね。

大正時代の1924年(大正13年)に、日清製油(現在の日清オイリオ)が、「日清サラダ油」という透明度が高い冷えても濁らないサラダ用油(サラダ油)を販売した。しかし、まだまだ一般の人びとの食卓に並ぶものではなかった。
昭和時代になるとヘッドレタスが登場し、サラド菜などの名で専門料理の本にも掲載されるようになった。しかし、主流はトマト、キュウリ、キャベツやポテトサラダであった。

サラダ – Wikipedia

昭和にもなると、一般の人でもサラダを食べられるようになっていますが、今の主流のキャベツやレタスと言った葉物野菜が中心ではなかったんですね。

また、1924年には今のサラダ味の原点、サラダ油が発売されたとありますね。

定着初期のサラダは必ずしも生野菜主体ではなく、一旦ボイル調理したカリフラワーや、あるいは千切りしたリンゴやミカンの缶詰、さらにはマカロニなどを加え、マヨネーズで全体的に味付けといったどちらかというとやや甘口のものが多かった。薄くスライスした生キュウリや生トマト、マッシュポテトも徐々に組み合わせ具材に加わる様になり、いよいよ生レタスや生キャベツといった葉物野菜の生食に対する食の信頼も定着、全国大手のドレッシング・メーカーが幾種類ものドレッシング・ソースを商品開発し全国販売、TVCMも啓蒙に一役買い、今日普及しているサラダとして食卓に並ぶまでに至った。

サラダ – Wikipedia

日本でのサラダの普及は時間がかかり、1970年代中期頃になったそうです。日本にサラダが定着するまでには大変な努力があったんですね。

サラダの詩

ここで、先ほど出てきた詩人「ピエール・ド・ロンサール」が作ったとされるサラダの料理法をそのまま詩にしたというサラダの詩をフランス語(検索で見つけたものの引用です)とDeepL翻訳に頼って見てみたいと思います。

La salade (サラダ)

Texte A : Pierre de RONSARD, « La salade » (vers 1 à 23), Le premier Livre des poèmes,
1578.
[Le poème est adressé à Amadis Jamyn (1540-1593), poète champenois, proche du cercle littéraire de la
Pléiade, et ami de Pierre de Ronsard. Orthographe modernisée.]
Lave ta main, qu’elle soit belle et nette,
Réveille-toi, apporte une serviette :
Une salade amassons, et faisons
Part à nos ans des fruits de la saison.
D’un vague pied, d’une vue écartée
De ça, de là, en cent lieux rejetée
Sur une rive, et dessus un fossé,
Dessus un champ en paresse laissé
Du laboureur, qui de lui-même apporte
Sans cultiver herbes de toute sorte,
Je m’en irai, solitaire, à l’écart.
Tu t’en iras, Jamyn, d’une autre part,
Chercher, soigneux, la boursette
touffue,
La pâquerette à la feuille menue,
La pimprenelle heureuse pour le sang
Et pour la rate
, et pour le mal de flanc
.
Je cueillerai, compagne de la mousse,
La responsette à la racine douce
Et le bouton des nouveaux groseilliers
Qui le Printemps annoncent les premiers.
Puis, en lisant l’ingénieux Ovide
En ces beaux vers où d’amour il est guide,
Regagnerons le logis pas à pas.[…]

テキストA:ピエール・ド・ロンサール『サラダ』(第1詩集、1~23節)。
1578.
[の文壇に近いシャンパーニュ地方の詩人アマディス・ジャミン(1540-1593)に宛てた詩である。
プレヤード、ピエール・ド・ロンサールの友人。Modernised spelling]の略。
手を洗う、美しく清潔にする。
目覚まし、タオル持参。
サラダを集めよう、そして
季節の実りを、私たちの年に分かち合ってください。
漠然とした足元から、遠くの景色から
ここから、あそこから、100か所で拒絶反応
土手の上、そして溝の上。
左のダラダラしたフィールドの上
耕す人は、自分自身の力で
ハーブの栽培を一切せずに
孤独に、離れていく。
汝は行くべし、ジャミン、他の場所から。
ブシロードを丁寧に探す
ふさふさのデイジー。
小さな葉っぱのついたデイジー。
血気盛んなバーネット
そして、脾臓のために
そして、脇腹の痛みには
.
苔の仲間、摘みます。
スイートルートのレスポンシブ
そして、新しいスグリの蕾が
どの春に先駆けるか。
そして、独創的なオヴィドを読むと
この美しい詩の中では、愛が彼の指針となっています。
一歩一歩、家に帰ろう[…]。

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

全文翻訳だとなんとなく雰囲気でしかよくわかりませんが、確かに手を洗って、サラダを作る詩です。後半はきっとサラダの材料を集めている風景をうたっているのだと思います。

Wikipediaにもサラダ好きの詩人と書かれていましたし、サラダを題材に詩を書いてしまうくらい好きだったんですね。ちょっと面白いですね。

終わりに

今ではコンビニやスーパーなどで気軽に買えてしまうサラダですが、日本に普及するまでかなりの歳月がかかっていたり、逆にヨーロッパでは古代ローマ時代から食べられていたりと、非常に歴史があって面白い料理でした。

スナック菓子や煎餅などで言われている「サラダ味」も、サラダのための油というサラダ油が由来で、特に塩味の物をサラダ味と言うんでしたね。確かに古代ローマ時代は塩をかけていたようですし、サラダ味が塩味なのはあながち間違っていないのかもしれませんね。

また、薔薇の品種名にもなるくらいの有名な詩人が、サラダの詩を書いていたりと、調べてみるとサラダも面白かったです。たまには、日常の疑問を調べて掘り下げて、雑学を得るのも楽しいものですね。

引用サイト